映画ウィンストン・チャーチル ダンケルク撤退までの苦難

映画ウィンストン・チャーチル ダンケルク撤退までの苦難

1940年5月10日、ドイツ軍がオランダに侵攻を開始した。

ドイツ軍はオランダ国境にB軍集団、ベルギー国境にA軍集団、フランス国境にC軍集団を配置していた。このうち、オランダに攻め込んだのはB軍集団である。

オランダ・ベルギーの戦い

イギリスではチェンバレン首相が即日辞任し、強硬派のチャーチルが首相に就任した。チャーチルは直ちにベルギー国境付近にいた英国遠征軍(BEF)をオランダ救援に向かわせた。

しかしドイツ軍は強力で、オランダ軍は兵力四十万を有していたものの、あっという間に壊滅してしまった。B軍集団はそのままベルギーに侵入し、イギリス・フランス連合軍と対峙した。

しかしB軍集団は囮だった。両軍が対峙している間に、ルントシュテット将軍の指揮するA軍集団がアルデンヌの森を突破し、イギリス・フランス連合軍の背後から襲いかかったのである。

アルデンヌの森は戦車が通ることは不可能だと考えられていて、フランス軍はここの守りを薄くしていた。背後からの奇襲を受けた英仏連合軍は大混乱に陥り、海に向かって敗走した。

ダンケルク撤退作戦

慌ててチャーチルはイギリス中から船をかき集め、ダンケルクに救出に向かわせたのだった。

このようにドイツ軍は快進撃を続けていたが、突然ヒトラーがA軍集団に命令を下した。進撃停止。ドイツ軍は三日間進撃を停止し、この間に英仏連合軍はダンケルクに逃げ込むことができた。

なぜ進撃中止の命令が出されたのかはわかっていないが、一説には活躍する陸軍を止めて空軍の活躍機会を得たかったゲーリングの進言だったとされる。

やがてドイツ軍の攻撃が再開され、ダンケルクに総攻撃が始まった。

しかし英仏連合軍は既に体勢を立て直しており、撃退に成功する。ゲーリング自慢のルフトバッフェ(ドイツ空軍)も出撃したものの、イギリス本土から飛来した戦闘機の妨害に遭って大した成果を上げることはなかった。

ダンケルクは遠浅の海だったため、大型の船は接岸できなかった。そこでイギリス中からかき集めた漁船やヨット、遊覧船が大活躍した。最終的に三十五万人の将兵がダンケルクからイギリス本土へ撤退することに成功した。

1940年6月4日、ダンケルク撤退が成功した次の日にチャーチルは演説を行い、ドイツと断固戦い抜くことを宣言する。歴史上名高い、ダンケルク撤退演説である。

映画ウィンストン・チャーチルではチャーチルが首相に就任してから、ダンケルク撤退作戦が実行されるまでの日々が描かれている。ダンケルク撤退作戦の成功は、その後の人類の歴史に大きな影響を与えることになった。

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