「アンクル・トムの小屋」 アメリカの黒人奴隷と解放運動

「アンクル・トムの小屋」 アメリカの黒人奴隷と解放運動

1850年頃のアメリカ南部の黒人奴隷は「夜明けから日没まで」畑で作業をさせられた。農業だけでなく工業に従事する奴隷や、家事をする奴隷もいた。

労働は夜明けから日没まで

彼らは想像するほど悲惨な生活をしていたわけではなかった。 所有者は奴隷を使い捨てにするよりも、子供を産んで数を増やした方が得であると考えていた。

奴隷は「夜明けから日没まで」は働かなければならないが、「日没から夜明け」までは自分の時間を過ごすことができた。彼らの体を傷つけると市場価値が下がるので、虐待はさほど行われなかった。

彼らは夜になると集まり、宗教儀式に参加したり娯楽を楽しんだりしていた。また、家庭を持って一緒に暮らしていた。

外出時には「外出許可証」を持たなければならず、逃亡して見つかったときには足枷をつけられたり、鉄の鎖をつながれたりした。

このように奴隷とはいえ多少の自由はあったため、彼らの文化は受け継がれたし、人口もどんどん増えていった。

なお、一部に奴隷ではない「自由黒人」も存在した。何らかの功績で主人から解放された人と、その子孫は自由だった。だが、彼らは白人からは嫌がられていた。自由な黒人がいることは、都合が悪いからである。

なお、奴隷をたくさん所有して裕福な暮らしをしていたのは一部の白人だけで、南部地域であっても多くの白人は貧乏な暮らしをしていた。

奴隷制度反対運動

アメリカは「自由州」と「奴隷州」に分かれており、奴隷が存在するのは「奴隷州」だけだった。自由州と奴隷州の数は拮抗していた。北部地域にある自由州の人たちは、奴隷制度を批判的に見ていた。

北部地域出身のハリエット・ビーチャー・ストウは黒人奴隷を主人公にした小説「アンクル・トムの小屋」を出版した。

主人公のトムは温和で親切で品位がある善良な男で家族にも主人にも恵まれていた。しかし数々の不幸に見舞われて家族と離ればなれになり、最後は残虐な農場主レグリーに売られて殺されてしまう。

1854年には奴隷制度に反対する「共和党」が結成された。

1859年、奴隷解放運動を行っていたジョン・ブラウンが連邦政府の武器庫を襲撃し、全国の黒人奴隷に決起を促した。奴隷がこれに応じることはなく、ブラウンは反逆罪で処刑されることになった。

ブラウンは奴隷解放の英雄になった。多くの作家が彼を称え、処刑に会わせて教会の鐘が鳴らされ慰霊の式が挙げられた。

こうして奴隷制度をめぐる南北の対立はいよいよ決定的になった。南北戦争が始まったのは、その一年半後である。

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