南北戦争 アメリカ連合国の結成と総力戦

南北戦争 アメリカ連合国の結成と総力戦

1860年、奴隷解放を掲げる共和党のエイブラハム・リンカーンが大統領に当選すると、南部の奴隷州は連邦からの離脱を宣言した。

アメリカ連合国の結成

最初に離脱を宣言したのはサウスカロライナで、続いてミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサスと続いた。

これらの州は翌年に「アメリカ連合国」を結成し、ジェファーソン・デイヴィスが大統領に就任した。アメリカ連合にはヴァージニア、ノースカロライナ、テネシー、アーカンソーも加わり、首都はヴァージニアのリッチモンドに置かれた。

南部連合はサウスカロライナの中心都市チャールストン近郊にある連邦軍の拠点サムター要塞を攻撃し、陥落させた。

南北戦争

アメリカ合衆国大統領リンカーンはこの動きを「反乱」と見なし、鎮圧に乗り出した。人口、工業力、農地面積いずれも北部連邦のほうが優位であり、反乱鎮圧にはそう時間はかからないと思われていた。

連邦軍は南部の主要港を封鎖し、ニューオーリンズを占領した。しかしヴァージニアなどの東部戦線では南部連合軍が優勢だった。南部では北部の侵略者から郷土を守るために立ち上がった人が多かった。

イギリスとフランスは「アメリカ合衆国(北部連邦)」と「アメリカ連合国(南部連合)」の争いに対して、中立を宣言した。中立を宣言するということは、遠回しにアメリカ連合を国家として認めていた。アメリカが二つに分かれるのは好都合だった。

北部連邦はイギリスに抗議し、両国の関係は険悪になった。

困難の中でリンカーンは、この戦争を「奴隷解放のための正義の戦争」と位置づけることを思いついた。大義名分があればイギリスやフランスの干渉を避けることもできる。

こうして「奴隷解放宣言」が出された。宣言には黒人を北部連邦軍に迎え入れることも明記した。歓喜した黒人は北部に逃れ、連邦軍に参加した。

総力戦

戦争は総力戦になった。

北部連邦では中央集権体制が強化され、労働者確保のためにヨーロッパの移民を大量に受け入れた。女性も労働にかり出され、軍需工場はフル稼働した。

さらに徴兵制が始まった。徴兵から逃れることができたのは金持ちだけだった。都市部では貧民による徴兵反対の暴動が起きた。

一方の南部連合は、各州がそれぞれ主権を唱えたため国家としての機能を欠いていた。徴兵制を導入したものの、各州から強い反発が起こった。

北部連邦に港を封鎖され、経済危機に陥った。北部連邦による攻撃もあり、慢性的な食糧不足に陥った。日用品も足りなくなり、戦費調達のために紙幣を乱発して急激な物価上昇を招いた。

また、奴隷の多くも北部に脱出を図り、南部連合の経済は壊滅した。

リンカーンの「奴隷解放宣言」により「北部連邦が正義、南部連合が悪」という構図になったため、イギリスとフランスは戦争に介入することができなくなった。

南北戦争は北部連邦の勝利に終わった。

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