新移民と禁酒法 移民の堕落した生活は、アメリカを禁酒へと走らせた

新移民と禁酒法 移民の堕落した生活は、アメリカを禁酒へと走らせた

1900年前後のアメリカにはヨーロッパから大量の移民が流入した。

イギリス系だけでなく、南欧や東欧からの移民が急増した。具体的にはロシア人、イタリア人、ポーランド人、ギリシャ人、ユダヤ人などである。

彼らはそれまでの移民であるWASP(ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタント)系ではなかった。イタリアやポーランドからやってきた人はカトリックを信仰していたし、ロシア人はロシア正教、ギリシャ人はギリシャ正教、そしてユダヤ人はユダヤ教を信じていた。

彼らは「新移民」と呼ばれた。

移民票で躍進する民主党

「新移民」は信仰も文化も異なり、英語も話せなかった。そして、貧乏人ばかりだった。彼らは職を求めて大都市にやってきて、仲間同士で集まって暮らした。都市には多くのスラム街が形成された。

彼らを熱心に手助けしたのは民主党だった。アメリカ市民になるための帰化手続き、仕事の斡旋、住まい探し、病院の紹介など、とても親切に面倒を見た。

なぜならアメリカは移民も簡単に帰化できるからである。帰化してしまえば立派なアメリカ国民なので、英語が話せなくても、お金がなくても、政治のことなど知らなくても、選挙に行き投票する権利を得ることができる。

彼らは選挙のたびに、民主党に感謝して投票した。アイルランド系移民やユダヤ系移民は民主党に投票し、イタリア系移民は共和党に投票した。

こんな手段で当選するような輩は、アメリカ国民のことを考えた政治をするはずがない。都市部では賄賂が飛び交い、地位は金やコネで得ることができるようになった。

大都市は腐敗と犯罪の象徴になり、WASP系住民は都市と新移民を嫌悪した。

禁酒法

新移民のゴロツキどもは毎晩酒場に集まり、酒を飲んでは仲間を集め、暴れたり売春したりと犯罪を繰り返していた。酒が人生を狂わせ、家庭を崩壊させ、彼らを凶暴にしていた。

WASP系市民の怒りは、酒へ向けられた。また、新移民を労働力としてこき使う経営者たちも、彼らが堕落した生活を送ることに頭を悩ませていた。

こうしてプロテスタント系の敬虔な市民は酒を憎み、多くの州で酒の製造、販売、輸送が禁じられ、やがて禁酒法はアメリカ全土に広がった。また、横行する売春を防ぐため厳しく罰する法律が定められた。

禁酒法は全国のアル中を苦しめた。人々は酒を求めて国境を越えた。

皮肉なことに、人々はより強い酒を求めるようになり、密輸される酒をめぐって暴力沙汰や売春も起きるようになった。シカゴではアル・カポネなどのギャングが密輸した酒を売りさばいて莫大な富を手にした。殺人や窃盗が頻発するシカゴは、アメリカで最も危険な街として恐れられた。

酒が禁じられてから13年後の1933年、禁酒法は廃止された。

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