湾岸戦争 イラクのクウェート侵攻と国連決議

湾岸戦争 イラクのクウェート侵攻と国連決議

イラクもクウェートも元々はオスマン帝国の領土だったが、1914年にクウェートはオスマン帝国から寝返り、イギリスの自治保護領になった。

第一次世界大戦でオスマン帝国が滅亡すると、イラクの地を手に入れたイギリスはハーシム王家を支援して1932年にイラク王国を建国させた。

そんなわけで、小さいながらもクウェートはイラクよりも先に存在していた国ということができる。ただしクウェートが独立したのは1961年のことだった。

併合を狙い続けるイラク

クウェートの独立には、イラクのカーセム首相が反対した。クウェートは元々イラクの領土の一部であると主張した。そこでイギリスは航空母艦を派遣して圧力を加え、独立が達成されたのだった。

しかしイラクは諦めることなく、イギリスの影響力が弱まったのを見て再びクウェートに手を伸ばそうとした。今度はサウジアラビアがクウェート支援を表明した。

こちらも国際諸国の調定によりイラクが手を引いて、戦争に至ることはなかった。

1990年、石油価格の下落を抑えるため、OPEC(石油輸出機構)は生産量を調整することにした。このときクウェートとアラブ首長国連邦が協定を守らずに増産を強行した。

イラクのフセイン大統領はこれに怒り、クウェートとの国境付近に軍を配置する措置に出た。対してクウェートもイラクを非難し、一触即発の事態になった。

この事態にエジプトやサウジアラビアが調定に動き出した。アメリカもアラブ首長国連邦との合同演習を実施してイラクを牽制した。

しかし、フセインはクウェートに賠償金の支払いや領土の割譲を要求し、拒否されると軍事侵攻に踏み切った。

クウェート侵攻と国連安全保障理事会

1990年8月2日、イラク軍は兵力十万人、戦車三百台でクウェート侵攻を開始した。クウェートは小さな国だから、あっという間に全土を占領されてしまった。

すぐに国連の安全保障緊急理事会が開かれ、イラクに対して無条件の即時撤退を要求する決議が採択された。アメリカとソ連はイラク非難で歩調を合わせた。

一方、リビア、ヨルダン、アルジェリア、チュニジアはイラクを支持した。

フセインはこの戦いを「アラブ対イスラエルの聖戦」という形にしてアラブ諸国の支持を得ようと考えた。さらに、かつて戦争を繰り広げた隣国イランと平和条約を結び、同国の支持を得ようとした。

11月29日、国連安全保障理事会はイラクに対する武力行使を容認する決議を採択した。アメリカ、イギリスは和平交渉を継続しながらも、イラク侵攻の準備を進めていた。

アメリカを主力とする多国籍軍は、翌年の1月17日に「砂漠の嵐作戦」を実行する。

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