砂漠で生まれたイスラム教 死を恐れぬ軍団はサーサーン朝を滅ぼした

砂漠で生まれたイスラム教 死を恐れぬ軍団はサーサーン朝を滅ぼした

アラビア半島は大部分が砂漠という過酷な土地。

当時、ヨーロッパとアジアの間では西のビザンツ帝国と東のサーサーン朝ペルシアが長らく戦争していた。現在のトルコ東部のあたりで、この地域はヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要衝だった。

戦争中で通れないため、貿易商はやむなく荷物を船で運ぶことにした。ペルシャ湾からアラビア半島を迂回するのである。だが、この地域は海賊が多く危険だった。そこでアラビア半島の商人が活躍し、栄えるようになった。

開祖ムハンマドとメッカ

イスラム教の教祖ムハンマドは、このアラビア半島の貿易都市メッカで生まれた。

ムハンマドは十五年ほどの修行の末、四十歳の時に大天使ジブリール(ガブリエル)から神の啓示を受けた。これがイスラムの教えだった。

イスラムの教えは「アラー以外に神はなし、偶像崇拝は地獄に落ちる」というものだった。 当時メッカでは昔からの神々がカーバ神殿に鎮座していて、人々に崇拝されていた。当然、ムハンマドは迫害されることになった。

やがてムハンマドは命を狙われるようになり、ヤスリブ(メディナ)へと逃げた。

メッカはヤスリブを攻撃してきたが、ムハンマドは少数の軍でこれを撃ち破った。メッカとヤスリブの対立は膠着状態になり、十年間の停戦条約を結んだ。

二年後、イスラム軍はメッカに攻め込んで占領。カーバ神殿の神像をすべて破壊した。さらにムハンマドはアラビア半島を二年ほどの間に平定して亡くなった。

正統カリフ時代

ムハンマドの後継者(カリフ)になったのは、ムハンマドの三番目の妻アーイシャの父親、アブー・バクルだった。ムハンマドには親友のアリーがいたが、アリーとアーイシャは仲が悪かった。

初代正統カリフのアブー・バクルはムハンマドの死によって混乱したアラビア半島を再統一したものの、わずか二年で亡くなった。

二代目正統カリフにはウマールが就任した。ウマールは「聖戦」を掲げてサーサーン朝ペルシアやビザンツ帝国に侵攻を開始、キリスト教の聖都エルサレムや商業都市ダマスクスを占領した。

イスラム軍は占領地の自治と信教の自由を認め、税金も安くしたため占領政策はうまくいった。おまけにイスラム教に改宗すれば税金はさらに安くした。

ムスリム(イスラム教徒)軍団が強かった理由は、死を恐れないことだった。イスラムの教えでは、聖戦で命を落とした者は天国に行くことができる。天国にはつぶらな瞳の処女がたくさんいて、好きなだけ愛欲に溺れることができるのである。それならば過酷な戦場で生き残るよりも、さっさと天国に行きたくなるのも無理はない。

こうしてムスリム軍団はサーサーン朝ペルシアを滅ぼし、エジプトからペルシアまでを支配するイスラム帝国を打ち立てた。

中東カテゴリの最新記事