砂漠の嵐作戦 多国籍軍の進撃と日本の対応

砂漠の嵐作戦 多国籍軍の進撃と日本の対応

1991年1月17日、多国籍軍はクウェートを占領するイラク軍への攻撃を開始した。

アメリカ軍の攻撃ヘリ「アパッチ」が国境付近のレーダーを破壊し、ペルシャ湾からはトマホークミサイルが大量に発射された。さらにステルス機F-117がイラクの首都バグダッドを爆撃した。

空爆開始

続けてアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍の戦闘機や攻撃機が空爆を開始した。アメリカ軍航空機は対空砲を叩き、イギリス軍航空機は滑走路を破壊した。

イラク空軍はMiG-29戦闘機で応戦しようとしたが、あっさりとアメリカ空軍のF-15戦闘機に撃墜された。フセインは慌てて航空機を避難させた。

イラク軍はスカッドミサイルでイスラエルを攻撃した。この戦争にイスラエルは関係ないのだが、中東で嫌われているイスラエルが参戦すれば味方が増えると考えたわけである。

この迷惑な攻撃にイスラエルではイラクに対する報復を望む声が高まったが、結局踏みとどまって参戦することはなかった。

イラク軍はサウジアラビアのカフジに襲撃を仕掛けた。T-55戦車50輛を含む地上部隊で侵攻を開始した。アメリカ海兵隊が応戦し、A-10サンダーボルトが戦車を破壊。イラク軍は多数の損害を出し、24時間で撤退した。

陸軍のイラク侵攻

多国籍軍は砂漠から攻め込み、イラク軍を包囲する作戦をとった。2月24日、アメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、そしてサウジアラビアやエジプトなどのアラブ連合軍が進撃を開始する。

新型戦車のM1エイブラムスはイラク軍の戦車を軽々と破壊して進撃していった。各地でイラク軍は敗走し、ついにクウェートも放棄した。

2月27日、イラクは安保理決議を受諾し、クウェート領有権の放棄、賠償金の支払いをすると宣言した。事実上の降伏だった。

イラクは中東では軍事大国として知られていたが、アメリカやイギリスの最新兵器を前にあっさりと敗北した。イラク側についたシリア、ヨルダン、パレスチナ解放機構は立場を失った。

多国籍軍と日本

湾岸戦争では西側諸国の大部分が多国籍軍に加わった。

常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランスをはじめ、先進主要国のイタリア、ドイツ、カナダも参加した。オランダ、ベルギー、ギリシャ、ポルトガル、オーストラリア、ノルウェー、アルゼンチン、韓国の姿もあった。

しかし日本ではアメリカに反感を持つ人たちが反戦デモを繰り広げた。

結局、日本はアメリカの同盟国でありながら多国籍軍に加わることはなく、資金援助で済ませた。この行動は世界中から非難された。同盟は有事の際に命を賭けて戦うことに意味があり、金を出して済ませようなどとは、あまりに常識外れな行動だった。

日本に対する西側諸国の信頼は、湾岸戦争で失われることになった。

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