受難のアメリカ黒人 南北戦争後も続く差別

受難のアメリカ黒人 南北戦争後も続く差別

南北戦争終結後の1865年、アメリカ合衆国で奴隷制度が廃止された。

奴隷制度は禁じられたが、南部の州では独自に「黒人取締法」を制定し、黒人支配体制を維持しようとした。そこでは黒人は飲酒を禁じられ、農園から出てはならないと定められた。

これに対して連邦議会は黒人取締法を無効にする決議を行い、黒人に公民権を与えた。これに従わない州は、連邦議会へ代表を送ることを禁じた。

黒人奴隷のその後

こうして黒人は法律上自由になったわけだが、今まで奴隷だったので土地もお金も持っていなかった。そこで「主人」と契約を結び、小作人として生きていくことになった。

それでも、少しずつ自分の土地を所有する黒人は増えていった。

黒人の多くは共和党に投票した。共和党は奴隷解放を掲げた政党だから、当然のことだった。

一方で南部の白人はこの動きに反感を持ち、白人至上主義の秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)を結成した。KKKは黒人や黒人を支持する白人を襲撃したり、脅迫したりした。

1876年、ヘイズ大統領は南部からの連邦軍撤退を決定した。連邦軍の影響がなくなった南部では民主党が復活し、黒人差別も再開されることになった。

黒人の政治参加をさせないため、白人はさまざまな手を使った。投票方法を教えなかったり、黒人の選挙区を操作したりした。

ミシシッピでは「憲法を理解できること」「税金2ドルを支払ったこと」を投票の条件にした。サウスカロライナやルイジアナも同様の法律を定めた。さらにルイジアナは「祖父が投票権を持っていた者」という法律まで定めた。これで投票できる黒人はほとんどいなくなった。

人種分離政策

やがて人種分離政策がとられるようになった。白人と黒人は何もかもが分けられた。トイレは「白人用」と「黒人用」に分かれ、動物園の入り口も別々になった。電話ボックスやエレベーターも白人用と黒人用で分けられた。

これらの分け方は州によって異なっていたので間違えてしまう人も多かったのだが、間違えたら逮捕されたり、殴られたりするのだった。

当然、白人と黒人の結婚も禁じられた。それだけでなく、白人とアジア人の結婚も禁じる州が存在した。白人は他の人種よりも優れていると考えられていた。

黒人は私刑で殺されることも多かった。白人女性に声をかけたりしたら大変なことで、公衆の面前で首をつられることも珍しくなかった。

アメリカカテゴリの最新記事