フォークランド紛争 イギリスの優れた外交手腕

フォークランド紛争 イギリスの優れた外交手腕

フォークランド諸島はイギリスの領土だが、アルゼンチンのすぐ近くなのでアルゼンチンも領有を主張していた。

両国は話し合いを続けていたが、イギリス首相マーガレット・サッチャーは強硬な姿勢を見せ、島民投票でも多数がイギリス領を希望した。

当時のアルゼンチンは経済が悪化し、テロも頻発して治安も悪くなっていた。このような情勢で国民はカリスマ性のある指導者を求めていた。これに答えたのがガルチエリ大統領だった。

ガルチエリはフォークランド諸島の奪還を掲げていた。

アルゼンチン軍の侵攻

1982年3月、アルゼンチンはイギリスに対し「フォークランド諸島問題解決のため、あらゆる手段をとる」と宣言した。数週間後にはウルグアイとの合同軍事演習を口実に海軍を出撃させた。

フォークランド諸島を守っていたイギリス軍兵力は、海兵隊79人だった。アルゼンチン艦隊の動きを確認したイギリス軍79人は、住民の協力も得て砂浜に有刺鉄線を張り巡らせ、飛行場は使えないように車を配置した。

しかしアルゼンチン軍は総勢五千人であり、兵力差は明らかだった。上陸はあっさりと成功し、あっという間に島を占領した。イギリス軍は総督府に立てこもり、三時間ほどの抵抗の末に降伏した。

南ジョージア島にもアルゼンチン軍が上陸し、イギリス軍海兵隊23人は二時間の銃撃戦の後に降伏した。

イギリスの外交

イギリス政府の行動は迅速だった。すぐさま国連安全保障理事会にアルゼンチンの蛮行を糾弾する議案を提出し、可決させた。当時は冷戦時代であり、第三世界は植民地側に同情的だったので可決されるかどうかは微妙な見通しだった。ソ連と中国は拒否権を行使せず、棄権した。

さらにヨーロッパ共同体(EC)でも対アルゼンチン武器禁輸措置を決定した。アルゼンチンはフランス、西ドイツ、イタリアからの弾薬供給を絶たれた。

アメリカは、イギリスとアルゼンチンどちらとも同盟を結んでいた。アルゼンチンは南米の反共の砦として、アメリカから重要視されていた。結局アメリカはイギリスに味方した。

こうして国際世論はアルゼンチンを非難し、イギリス支持でまとまった。鮮やかな外交手腕だった。

イギリス艦隊の派遣

しかし世界を味方につけたところで、フォークランド諸島がアルゼンチンに占領されていることは変わりがなかった。自分の領土は自分で取り戻さなければならない。

フォークランド諸島はイギリス本土から遙か遠く離れており、奪還には多大な労力を使うことになる。おまけにイギリスには正規空母が存在しなかった。

それでも、サッチャーは艦隊派遣を決定した。

軽空母ハーミーズ、インビンシブルを中心に巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、揚陸艦など46隻からなる大艦隊が編成された。豪華客船クイーン・エリザベスまでもが加えられた。第二次世界大戦以来、最大の規模である。

軽空母二隻の戦闘能力には疑問符がつけられていた。どちらも垂直離着陸(VTOL)機のハリアーしか搭載できず、当時ハリアーの能力は証明されていなかった。

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