フォークランド紛争 イギリスとアルゼンチンの死闘

フォークランド紛争 イギリスとアルゼンチンの死闘

1982年5月2日、排水量一万トンを超えるアルゼンチン海軍の巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」が撃沈された。

ベルグラーノは第二次世界大戦中にアメリカで建造された。元の艦名は「フェニックス」で、ブルックリン級軽巡洋艦の五番艦だった。戦後はアルゼンチン海軍に譲渡されていた。

ベルグラーノを撃沈したのは、イギリスの原子力潜水艦「コンカラー」だった。イギリス・アルゼンチン両国はフォークランド諸島を巡って争っている最中であり、前日には航空戦が繰り広げられていた。

とはいえ、まだ両国の戦闘は小規模なものだったので、ベルグラーノ撃沈の情報は世界を驚かせた。コンカラーはすぐさま水中に潜り、アルゼンチン海軍の追跡を振り切った。

この事件でイギリスのサッチャー政権は世界中から非難されることになった。

イギリス軍とアルゼンチン軍の空海戦

二日後、アルゼンチンの攻撃機シュペル・エタンダールがイギリス艦隊を攻撃した。

遙か離れた場所からエグゾセ対艦ミサイルを発射し、駆逐艦シェフィールドに命中。エグゾセは不発だったが、新鋭艦ながらアルミ製だったシェフィールドは炎上、沈没してしまった。

以降、イギリス軍とアルゼンチン軍の空海戦は激化する。

アルゼンチン軍の航空機は上陸を敢行するイギリス艦隊に波状攻撃を仕掛けた。フランス製のミラージュやアメリカ製のスカイホークが低空から侵入した。イギリス艦隊は接近されたときの装備が不十分だったため、多くの艦艇に損害を出した。

フォークランド島の戦い

この間にフォークランド島に上陸したイギリス軍は、二手に分かれて首都ポートスタンリーを目指した。北側を海兵隊、南側を空挺部隊が担当した。

イギリス軍の総兵力は九千人を超えた。特殊部隊SAS、近衛部隊、グルカ兵などの精鋭も揃っていた。だがアルゼンチン軍はポートスタンリーにガルチエリ・ラインと名付けた強固な防衛線を構築していた。兵力は七千人だった。

アルゼンチン軍は降伏を拒み、イギリス軍の総攻撃が始まった。両軍は白兵戦を含む激しい戦闘を繰り広げた。最終的にアルゼンチン軍が降伏し、イギリスはフォークランド諸島を奪還した。

フォークランド紛争は日本では「紛争」と名前がついているが、世界では一般に「フォークランド戦争」と呼ばれる。

イギリス軍は9,000人、アルゼンチン軍は15,000人が参加した戦争だった。犠牲者はイギリス軍253名、アルゼンチン軍645名。その戦闘の規模の割には少なかった。

アルゼンチンのガルチエリ大統領は敗戦の責任を問われ失脚した。アルゼンチンが戦争に敗北したのは、フォークランド紛争が初めてだった。アルゼンチンの国際的な評価は地に落ちた。

一方、イギリスのサッチャー首相は人気が低迷していたが、フォークランド紛争の勝利によって人気が復活。二度目の総選挙に勝利することになる。

なお、アルゼンチンは今もフォークランド諸島の領有を主張している。

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