ファショダ事件 縦断政策のイギリスと横断政策のフランスが遭遇

ファショダ事件 縦断政策のイギリスと横断政策のフランスが遭遇

アフリカ大陸を縦断しようとするイギリス軍と、同じく横断しようとするフランス軍が衝突したのがファショダ事件である。と、されている。

イギリスは1882年にエジプトを保護国として、ナイル川沿いに鉄道を建設しながら南下していた。その最終目的地はアフリカ大陸南端のケープ植民地(現在の南アフリカ)だった。

一方のフランスはアフリカ西端のダカール、東端のジブチに拠点を確保していて、東西の連絡を確保しようと考えていた。

両国の軍はスーダンのファショダで遭遇することになった。先に到着していたのはフランス軍で、国旗を掲げていた。そこへイギリス軍が到着したのである。

一触即発?

ただし両者の兵力は大きく異なっていた。フランス軍は162名で、イギリス軍は2万5000名だった。しかも、フランス側はセネガル人が大多数を占めて大した武装をしていなかったのに対し、イギリス側は機関銃や野砲を持っていた。

そこまでの道のりも、イギリス側は鉄道を敷設しながら進んでいたのに対して、フランス側はジャングルをかき分けて進んできたものだった。

フランス軍といっても、単なる探検隊であり、とうてい戦えるような状態ではなかった。それでもフランス軍を率いていたマルシャン大尉は国旗を掲げ、無謀な戦いを挑むつもりだった。

しかしイギリス軍を率いていたキッチナー将軍はマルシャン大尉にウイスキーを振るまい、戦うかどうかは本国に問い合わせることを提案した。

結局両者が戦うことはなく、キッチナー将軍はフランス軍を蒸気船でエジプトまで送ろうかと提案したが、マルシャン大尉はこれを断り、アフリカ東端のジブチを目指して進んでいったのだった。

英仏協商

イギリスとフランスの対立は回避されたものの、今度は極東で日露戦争が勃発した。イギリスは日本と同盟を結んでおり、フランスはロシアと協力関係にあった。

対立を避けるため、両国は話し合った。そしてイギリスにエジプトの利権、フランスにモロッコの利権があることを確認して、英仏協商が結ばれた。長年の対立関係にあったイギリスとフランスは、急速に接近した。

しかし、ドイツのヴィルヘルム二世は突然モロッコを訪れ、フランスのモロッコ利権を否定した。フランスとドイツの間に緊張が走った。イギリスはドイツを牽制する構えを見せたが、フランス側はイギリス参戦の確証が持てなかったために譲歩した。日露戦争のまっただ中のことだった。

やがてイギリス、フランス、ロシアは三国協商を結び、ドイツを押さえ込もうとするようになる。

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