オスマン帝国の参戦とガリポリ上陸 作戦は失敗しチャーチルが失脚

オスマン帝国の参戦とガリポリ上陸 作戦は失敗しチャーチルが失脚

オスマン帝国は伝統的にロシアと仲が悪かった。日露戦争で日本が勝利すると、国民は自国のことのように大喜びした。

オスマンは陸軍はドイツを、海軍はイギリスを模範にしていた。イギリスには最新鋭戦艦二隻を発注していて、ロシア黒海艦隊に備えていた。

しかしイギリスの海軍大臣チャーチルは、オスマン帝国がドイツ側に立つことを懸念して戦艦二隻の引き渡しを取りやめ、オスマン兵を追放してしまった。

憤慨するオスマンに対して接近したのはドイツだった。ドイツはすかさず戦艦と巡洋艦の二隻を、イギリス戦艦の代わりにプレゼントした。二隻の軍艦はドイツ兵を乗せたまま、ダーダネルス海峡に配備された。

オスマン帝国の参戦

第一次世界大戦が勃発した後もオスマン帝国はしばらく中立を保っていたが、タンネンベルクの戦いでドイツ軍が大勝利を収めたと聞いて、これまでにロシアに奪われた領土を取り返すチャンスだと考えた。

1914年10月29日、先のドイツからプレゼントされた軍艦二隻がオデッサ海軍基地に攻撃を開始し、オスマン帝国はロシアに宣戦布告する。

12月、オスマン帝国は黒海の東にあるカフカス山脈から十万の軍勢でロシアに攻め込んだ。しかしカフカス山脈は標高が高く、しかも真冬だった。オスマン帝国軍は敵と戦うことなく、凍え死んでいった。

また、スエズ運河を攻略しようと行動を開始したものの、ナイル川を渡れずに失敗に終わった。

この様子を見て、イギリスとフランスはオスマン帝国軍は弱いと判断した。一刻も早くオスマン帝国を破り、その領土を植民地にしてしまおうと意気込んだのであった。折しもロシアから、ダーダネルス海峡を攻撃してほしいと要請があった。

1915年2月、イギリスとフランスは艦隊をダーダネルス海峡に派遣した。しかし艦隊は機雷に触れて爆発を起こし、二隻の戦艦が失われた。驚いた英仏軍は艦隊による攻撃は中止し、陸軍を派遣することにした。

ガリポリ上陸作戦

4月25日、英仏連合軍はガリポリ半島に上陸した。

ガリポリはオスマン帝国の首都イスタンブールからも近く、砂漠や山岳地帯というわけでもないので、オスマン帝国も補給に苦労することはなかった。

ガリポリの海岸は砂浜があり、その先には高い崖があるという地形だった。連合軍は砂浜に拠点を築き、オスマン帝国軍は崖の上に塹壕を掘った。当初のもくろみは外れ、簡単にオスマン軍を破ることはできなくなった。

この有様に立案者のチャーチル海軍大臣に非難が集中した。アスキス内閣は総辞職し、チャーチルは失脚。ロイド・ジョージが首相になった。

それでも英仏連合軍はガリポリ半島からの撤退をせず、塹壕では疫病が蔓延した。大量の犠牲者を出し、1916年になってからようやく撤退した。

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