瓦解した三国同盟 イタリアの対オーストリア宣戦布告

瓦解した三国同盟 イタリアの対オーストリア宣戦布告

1866年のプロイセン=オーストリア戦争でイタリアはプロイセン側に立って参戦し、オーストリア帝国からヴェネツィアを奪い取ることに成功した。

ヴェネツィアやその東の沿岸部はイタリア人の居住地であり、イタリアの領土であるべきだと考えていた。イタリア人は、この地域を「未回収のイタリア」と呼んだ。

未回収のイタリアを領有していたのは、ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国だった。イタリアはドイツ、オーストリアと三国同盟を結んでいたが、オーストリアとの関係は良好とは言えなかった。

第一次世界大戦勃発とイタリアの判断

第一次世界大戦はオーストリアがセルビアに宣戦布告したことから始まった。オーストリアは宣戦布告することについてドイツには事前に相談していたものの、イタリアには連絡しなかった。

このためイタリアに参戦義務はなく、すぐに中立を宣言した。実際のところ当時のイタリアには、戦争に参加する余裕はなかった。

そもそもイタリアは統一されたばかりで南北には経済格差があり、言語もばらばらだった。彼らには、同じ国民であるという意識が希薄だった。

とはいえ、ただ戦争を黙ってみているだけでは面白くない。イタリアは両陣営と参戦の見返りの交渉を始めた。

イタリアに好意的な返事をしたのは、イギリスやフランスだった。戦争に勝利した暁には、オーストリア領内にある「未回収のイタリア」をイタリアに与えるというものだった。

これは当然といえば当然で、オーストリアが自分の領土を分け与えると言うわけがなかった。イギリスやフランスは占領後のことだから、適当に約束しておけばよかった。

こうしてイタリアは、三国協商側に立って参戦することにした。このようなイタリアの自己中心的な政策を「神聖エゴイズム」という。

イタリア参戦

1915年5月23日、イタリアはオーストリアに宣戦布告した。さっそくイタリア軍はイゾンツォ川に進軍を開始したが、早々に塹壕戦になり、イタリア軍はほとんど進むことができなかった。

何しろ、イタリア軍は士気が低かった。統一されたばかりなので愛国心というものがなく、特に兵士の多くを占める南部出身者は、土地に何の愛着もなかった。

さらにイタリア軍は給料が安く、休暇が少なく、食事も粗末だった。やる気のない兵士に命令を守らせるため、見せしめの突撃命令が繰り返された。

勝利を確信して参戦したイタリア軍は、ドイツ・オーストリア連合軍の反撃を受けて、ヴェネツィア近郊まで撤退を余儀なくされたのだった。

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