夏侯惇と夏侯淵 曹操の優秀な親族たちと真・三國無双シリーズ

夏侯惇と夏侯淵 曹操の優秀な親族たちと真・三國無双シリーズ

曹操の祖父、曹騰(そうとう)は宦官だった。

宦官とは官僚のことで、皇帝の近くにいて権力を握っていた。宦官になるには、去勢しなければならなかった。宦官は元々奴隷や捕虜を去勢して働かせていたものだが、やがて多くの人が自ら志願して宦官になるようになった。それだけ官僚という身分は魅力的だった。

曹騰はかなり偉くなったが、宦官なので子供を作ることが出来ない。だから、夏侯家から養子をとった。その養子の子が曹操だった。

というわけで、曹操には夏侯家の血が流れている。

三国志は弱肉強食の時代なので、裏切りは珍しくもなかった。そんな誰も信用できない時代、軍の要職に誰を就けるかは悩みどころだった。

そこで夏侯家の出身である夏侯惇と夏侯淵が重要な役割を担うことになった。要職を親類で固めれば安心、というわけである。

正史と演義の夏侯惇、夏侯淵

正史によると曹操、夏侯惇、夏侯淵はいとこ、三国志演義では夏侯惇と夏侯淵は実の兄弟ということになっている。

夏侯惇は若い頃は気性が荒かったが、やがて性格も丸くなり、曹操から最も信頼されていた。戦はあまり得意ではなかったようで、呂布の軍にとらえられたり、博望坡の戦いで劉備の罠にかかったりしている。

三国志演義の夏侯惇は魏でも屈指の猛将である。呂布との戦中に眼に矢を受けた夏侯惇はそれを引き抜いて自分の眼球を飲み込み、矢を放った曹性を討ち取った。関羽をはじめ、多くの武将と一騎打ちを繰り広げている。

夏侯淵のほうは戦も上手だった。長安に駐屯して異民族討伐の任務に就き、奇襲や迅速な行軍で敵から恐れられた。

夏侯淵は漢中に駐屯し、劉備の攻撃を数年間防いだ。定軍山で劉備軍と対峙した夏侯淵は苦戦する張郃に兵を割き、自ら陣地の修復に赴いたときに黄忠の襲撃を受けて戦死した。

演義の夏侯淵は弓の名手で、夏侯惇ほどではないが猛将として描かれている。

真・三國無双の夏侯惇と夏侯淵

コーエーの真・三國無双シリーズでは夏侯惇は眼帯をして剣を持っていて、なかなか格好良く描かれている。渋いオッサンであり、変人が多いゲームの中では、とてもまともな人でもある。

一方で夏侯淵は気さくなオッサンである。棍棒を振り回し、弓を得意とする。ゲームの性質上、弓は使い勝手が悪いためあまり強くないが、人に好かれやすい性格をしている。

夏侯淵は攻撃が得意だったこと、奇襲を受けて戦死したことから、ゲームでは攻撃は得意だが防御が今ひとつという「猪突猛進」タイプにされている。

しかし、どちらかといえば猪突猛進タイプは夏侯惇のほうだったりする。どうしても歴史上の人物は結果だけで判断されがちである。

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