就活と恋活 満たされぬ承認欲求

就活と恋活 満たされぬ承認欲求

人間には「認められたい」という欲求、承認欲求が存在する。

承認欲求は誰にでもあるもので、この欲求が満たされないと生きるのがつらい。 自信を喪失し、居場所を失い、生きる意味を失う。

就活という承認欲求

我が国では就職活動の際に、具体的条件が提示されることは少ない。具体的な資格を持っていること、実務経験があることなどが提示されていることもあるが、多くは「やる気」とか「コミュニケーション力」などという曖昧な基準で採用している。

「やる気」や「コミュニケーション力」ほど判断が難しいものはない。仮にどれだけ優れた学力、資格、経験、技能を持っていたとしても、面接で落とされてしまう可能性がある。

多くの会社で採用基準は「総合的に判断」ということになっている。 最近は大学入試などにもこの曖昧な定義が用いられている。

要するに基準などはないのに、「優れた人間を採用する」と言っているわけである。この優れた人間になるのはとても大変だ。何しろ基準がないのだから。

そして裏返せば、会社に採用されない人は「優れていない人間」「劣っている人間」ということになる。

さて、このような基準で企業が採用活動をしている以上、内定が取れない人は「人間として劣っている」と思ってしまうことになる。本人がそう思ってしまうことも問題だが、周囲の人間もそのように思いがちだ。

何度も何度も会社から不採用の通知が届くと、社会から必要とされていないと感じてしまう。それまで努力してきたことは、すべてが否定される気持ちになる。中にはそのまま自殺してしまう人もいる。

自殺まではいかなくとも、この経験は心に深い傷跡を残す。承認欲求が満たされなかった人間は、別の欲求で心を満たそうとし始める。だが、そう簡単に欲求が満たされることはないのである。

就活に苦労した人間は、深い心の傷を負って生きていくことになる。

恋愛という承認欲求

恋愛もまた、承認欲求が満たされるかどうかに重要な点になる。就活と同様、恋愛には正解がない。

社会一般ではクズと呼ばれている人でさえ、人に愛されることがある。まじめに生きてきた善良な市民でも、人に愛されるとは限らない。むしろ多くの人は思うのではないだろうか、振り返ってみれば反社会的な人間のほうがモテていたのではないかと。

人に愛されるということは、存在が認められるということでもある。人に愛されなければ、存在が認められないと考える人は多い。

人に愛されるということは、承認欲求が満たされる最大の例だといえよう。恋愛ができない人間は、大きな不幸を抱えながら生きることになる。

残念なことに、就活がうまくいかなかった人は、恋愛もうまくいってない場合が多い。

就職氷河期世代は仕事が大変で給料が安く、結婚できないという三重苦を生きてきたが、それは物質だけの話に留まらない。物質的、肉体的な話だけではなく、精神的にも、とんでもなく不幸な人生を歩んできたのである。

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